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東京ワーキングマザーログ

1995年の冬とか、そんな時代の話。

小沢健二が今になって1995年は寒かったなんて歌うから、彼が私の王子様だった高校時代のことを思い出したりしている。

地方の進学校での平凡だけど複雑な女子高生ライフがもはや25年も前の話だなんて!いまの私はあのころの私が微塵も想像していなかった人生を送っている。東京に住んで金融業界で働いて夫はハーフで40代で妊婦とか、まー、25年前でも今でも地方の女子高生の想像をはるかに超えているよね。思えば遠くに来たもんだ。

私が育った地方では、当時は「私立=公立を落ちた人が行くところ」という意識が根強く、公立進学校にはカーストのようなランキングがあった。そんな土地柄で、私は父の勧めによりあえて少しレベルを下げて中堅の進学校に進学した。父は、無理して上位校に進んで成績が低迷したら勉強しなくなるけど、下位校で優等生扱いを受ければそれをキープするだろう、と私のことを見越していたらしい。そしてそれは完全に正解で、高校では常に学年トップで先生方に期待をされまくった結果、私は煽てられるがままにするっと旧帝大に現役合格した。まー、いわゆる「褒められて伸びる子」の典型だったんだろうな。父とは相入れないところも多々あるけど、私の高校選択においては名采配だった。

それで高校生活は楽しかったのか?と言うと、友達もいたし恋愛もしたし、半径100メートル以内の人間関係には何のトラブルもドラマもなかった。上位はMARCHか地方国公立大、大半は地元の私大か短大に進学するレベルの高校で、校風はのんびりとして自由。女子は受験や進路に悩むよりも、おしゃれや恋愛を楽しみ青春を謳歌している子が多く、男子も大体似たような感じ。

私は顔よりもテスト結果の掲示で(名前と順位と偏差値で)知られていて、多くの同級生には「どうしてこの高校に入ったの?」って思われてたし、実際たまに言われてたけど、スクールカースト的には中堅くらいのグループでゆるくまわりに馴染んでた。放課後はPARCOや駅ビルで買い物したり。駅前のマックやミスドでお茶したり。カラオケでは小沢健二を歌ったり。ごくごく平凡な、田舎の女子高生ライフ。

しかし本当のところは、サイズの合わない靴を履いているような違和感をまわりに感じていたし、彼氏は塾で知り合った同じ大学志望の他校の子だったし、大好きな本や音楽にはひっそり心を窶していた。楽しくなかったとは言わないけど、まー、あの高校には私の本当の居場所はなかったよね。大学進学という目標のためにはちょうどよい踏台だったというだけで。高校時代の友達で今でも仲がよいのは1人だけだし、同窓会にも随分長いこと行ってない。

そんな高校生活を終えて、大学では毎日が刺激的で楽しくて、就職では氷河期の憂き目に遭いながらも金融業界が意外と性に合って、一旦仕事辞めてアメリカ留学した後もまた金融業界に戻って、1995年からもうすぐ25年になるわけだけど、

「そして時は2020
 全力疾走してきたよね」

小沢健二がそう歌うから、時を超えてまた聴いてしまった。そしてまだ当分、多分あと20年くらいは、私の全力疾走は続く気がする。